身体が使えている=動きの大きさ という勘違い
身体を使えているか?という言葉はよく聞きます。
下半身が使えているか? とか、
軸足が使えているか? とか、
腰が使えているか? とか、
腕が振れているか?とか。
で、それらの言説を展開している人の、「使えている」の意味をよくよくみてみると、
ほとんどが、「使えている」=「動かしている」 だということが分かります。
ようは、大きく動かせば動かすほど、「使えている」と判断し、
動きが小さければ小さいほど「使えていない」と判断しているだけなのです。
そのことに気付ければ、実に根拠の薄い、子供騙しの、笑ってしまうようなお話なのですが、
現実には普通にまかり通っています。
なぜそのような現状があるのかというと、話を聞く側も表面上の大きな動きというのは分かりやすいからです。
ですから、「ほら見てごらん。あの選手は下半身が使えていないんだよ」といわれると、「そういうものか」と納得してしまうわけです。
動作の重要性は、目的の部分に近いほど上がる。にも書いたとおり、
人は、分かりやすいもの、それらしいものに、ついつい飛びついてしまいやすい癖があります。
そうなってしまうのは、分かった気になりたい、手っ取り早く知りたい、めんどくさい、などの気持ちが根源です。
プレイヤーがそのような環境にいると、「大きく動かさなきゃ」という概念が埋め込まれます。
それは、知らず知らずのうちに、「使おう」として
無駄に「踏み出し幅を広く取ったり」、「腕を振り切ったり」、「頭を突っ込んだり」「グラブ側の腕を引いてみたり」といった悪癖が形成されます。
本当のことが知りたい、追求したいという思いがない限り、こんな簡単なトリックからなかなか抜け出すことが出来ないのです。